http://babyyoggy.naganoblog.jp/e1664963.html
ジェルネイルと、記憶がとんでいるあの頃・・・
こんにちは!
sora*hanaココロヨガsora*hanaです
今朝は、この冬一番の冷え込み、もちろん氷点下でしたけど、昼間はスッキリとクリアな青空、北アルプスの山々も美しく見えます!
現在、オットは雪国の白馬村へ赴任中。
平日は単身赴任生活です。
白馬村内は、今週は雪、雪、雪の毎日・・・
まさに今年の2月の大雪状態だそう
金曜日の今日は、松本へ帰ってくる予定ですが、う~ん、ま、そんなに無理して帰ってこなくても~なんて(笑) コラコラ
さて、今日の午前中は、先月に引き続き、市内の幼稚園の保護者サークルの出張ヨガ講座へ行ってまいりました~
が、そちらの記事は後ほど・・・(;^ω^)
まずは、今週月曜日のcraft松本アトリウムさんでの「アロマヨガクラス」のことを~
今月の精油は「ブラッドオレンジ」
「オレンジ・スイート」より、甘味が強く、暖かく感じる香りです

血行促進、体を暖かくする効果があるオレンジ
まずは、上半身からじわじわとほぐしていきました。
いつものように、肩甲骨回りをじっくりとほぐしてから、
「ヨガ・ムドラー」のポーズを取ってみました~
ここから、頭頂部をマットにつけた、「ウサギのポーズ」も
余計な思考を頭頂部からマットへ落とし込み、デトックス
終わったあとは、視界もクリアな感じになります!
正座の状態から、胸と顎をマットに付けて、「ネコの伸びのポーズ」
肩甲骨から背中を溶かすように・・・
肩甲骨のあたりが、重く、何かを背負っている感覚があるのは、風邪の前兆・・・
普段から、背中周りは、柔らかく、風邪の予防にもなりますよ~!

この日はスタンディングポーズも!
気忙しい年末を元気に乗り切るために、エネルギーチャージのポーズ
W1(英雄①)
下半身はしっかりと根を張って、上半身は上へ真っ直ぐに
いろいろとつまづくことがあっても前を向いて、真っ直ぐ、進んでいきましょ!
前夜、急に連絡をくださって、すごく久しぶりに参加してくれた方がいらっしゃいました!
うれしかったです~!
月に1度、なんとなくココロに留めて、予定して通ってくださる方々に支えられて、アロマヨガクラス、細々ですが、続けてくることができました。
改めて、通ってきてくださっている方たちに感謝です。
今年は、こちらの「craft松本アトリウム」会場に巡り合えて、やりたかったヨガに近づいてきました。
足りないのは、私の話術と技術・・・(笑)
来年もトーク術に磨きをかけて、あ、技術も!(;^ω^)、ココロとカラダに心地よい時間を提供すべく、精進いたします~!
さて、いつもペディキュアだけなのですが、
12月、イベントシーズンなので、指先もオシャレに!で、
専属ネイリスト(笑)のY子さんに、ジェルネイルをやってもらいました~!
あんまり派手にならずに、上品に、でもちょっと目立ちたい・・・(笑)
という私のワガママなリクエストを調和させ、仕上げてくれましたー!
「ツイード柄ネイル」
伸びても気にならないようにと、根本は透明に、やっぱり、ここでも丁寧なケアをしてもらって、爪が長くなった!!
でも、写真を見て、あまりのしわだらけの指にガーン
首と手先に年が出るとは言うけど、まさに・・・
仕方ないので、キラキラデコをつけてみました(笑)
Y子さんを見習って、手先のケア、やらなくちゃ
今日で10日以上経っていますが、ジェルネイルってキレイなまんまなのね~、すごい!
そして、心なしか、所作もキレイにしいようという意識が高まってきた(笑)
ありがとう、Y子さん
お話ししながらの施術はあっという間!
実は共通点が多い、Y子さんとわたし・・・。
同じ一児の母、しかも子供は同じ年。
そして、最近、カワイコちゃんが家族になって・・・
一児一犬の母(笑)
そして、同じく自分の母親がすでに他界していることも・・・。
Y子さんが高校生のとき、突然の病で他界されたお母様。
お姉さんは県外の大学に進学されていたので、突然、お父さんとの二人の生活に・・・。
私も高校生のときには母が長い闘病生活で入院をしていて、姉は結婚して家を出ており、父親との二人での生活でした。
食事とか、どうしていたのだろう?お弁当ってどうしていたんだっけ?
Y子さんとそんな話しをしながら、でも、お互い、なんか、記憶が飛んでいるよね~って
学校もちゃんと行っていたし、もちろんごはんもちゃんと食べていたし、洗濯もお弁当も自分でやっていたんだろうけど、
毎日の生活の細かいことが、まったく思い出せないよねって・・・。
それだけ、無我夢中だったということか?
Y子さんとの会話に悲壮感は全くなくて、そこが彼女の良いところでもあるんだけど、
でも、高校時代のY子さんに頑張ったね~って声かけてあげたくなっちゃった!!
巡り巡って、一児一犬(笑)の母になっている私達。
天国のお母さん、大丈夫!
ちゃんとやってますよ~!
そして、Y子さんのお母さん、家事を仕込まずに旅立たれてしまったけれど、ご心配なく~!
娘さん、家中、ピッカピカですから!
私は~というと・・・
時々、一喝が聞こえてきそうだな~(;^ω^)
はっ!!またしても長文に!!
アロマヨガ通常レッスンは今年は終了しましたが、来週月曜日、12月22日に、ヨガ&スイーツコラボレッスンがあります~
http://babyyoggy.naganoblog.jp/e1615382.html コチラは前回の様子
残席は、午前1席、午後は2席ございます!
前日の午前中まででしたら、申込可能です!
☎090-1703-7855 ✉baby.miya@sky.plala.or.jp
ご予約いただいている皆様、22日、お待ちしております
この日は、初めての方、そして、懐かしい方も来てくださる予定・・・
楽しみにしております~
sora*hanaココロヨガsora*hanaです

今朝は、この冬一番の冷え込み、もちろん氷点下でしたけど、昼間はスッキリとクリアな青空、北アルプスの山々も美しく見えます!
現在、オットは雪国の白馬村へ赴任中。
平日は単身赴任生活です。
白馬村内は、今週は雪、雪、雪の毎日・・・
まさに今年の2月の大雪状態だそう

金曜日の今日は、松本へ帰ってくる予定ですが、う~ん、ま、そんなに無理して帰ってこなくても~なんて(笑) コラコラ
さて、今日の午前中は、先月に引き続き、市内の幼稚園の保護者サークルの出張ヨガ講座へ行ってまいりました~
が、そちらの記事は後ほど・・・(;^ω^)
まずは、今週月曜日のcraft松本アトリウムさんでの「アロマヨガクラス」のことを~
今月の精油は「ブラッドオレンジ」
「オレンジ・スイート」より、甘味が強く、暖かく感じる香りです


血行促進、体を暖かくする効果があるオレンジ
まずは、上半身からじわじわとほぐしていきました。
いつものように、肩甲骨回りをじっくりとほぐしてから、
「ヨガ・ムドラー」のポーズを取ってみました~
ここから、頭頂部をマットにつけた、「ウサギのポーズ」も
余計な思考を頭頂部からマットへ落とし込み、デトックス

終わったあとは、視界もクリアな感じになります!

肩甲骨から背中を溶かすように・・・
肩甲骨のあたりが、重く、何かを背負っている感覚があるのは、風邪の前兆・・・

普段から、背中周りは、柔らかく、風邪の予防にもなりますよ~!

この日はスタンディングポーズも!
気忙しい年末を元気に乗り切るために、エネルギーチャージのポーズ
W1(英雄①)
下半身はしっかりと根を張って、上半身は上へ真っ直ぐに

いろいろとつまづくことがあっても前を向いて、真っ直ぐ、進んでいきましょ!
前夜、急に連絡をくださって、すごく久しぶりに参加してくれた方がいらっしゃいました!
うれしかったです~!
月に1度、なんとなくココロに留めて、予定して通ってくださる方々に支えられて、アロマヨガクラス、細々ですが、続けてくることができました。
改めて、通ってきてくださっている方たちに感謝です。
今年は、こちらの「craft松本アトリウム」会場に巡り合えて、やりたかったヨガに近づいてきました。
足りないのは、私の話術と技術・・・(笑)
来年もトーク術に磨きをかけて、あ、技術も!(;^ω^)、ココロとカラダに心地よい時間を提供すべく、精進いたします~!

12月、イベントシーズンなので、指先もオシャレに!で、
専属ネイリスト(笑)のY子さんに、ジェルネイルをやってもらいました~!
あんまり派手にならずに、上品に、でもちょっと目立ちたい・・・(笑)
という私のワガママなリクエストを調和させ、仕上げてくれましたー!
「ツイード柄ネイル」
伸びても気にならないようにと、根本は透明に、やっぱり、ここでも丁寧なケアをしてもらって、爪が長くなった!!
でも、写真を見て、あまりのしわだらけの指にガーン

首と手先に年が出るとは言うけど、まさに・・・

仕方ないので、キラキラデコをつけてみました(笑)
Y子さんを見習って、手先のケア、やらなくちゃ

今日で10日以上経っていますが、ジェルネイルってキレイなまんまなのね~、すごい!
そして、心なしか、所作もキレイにしいようという意識が高まってきた(笑)
ありがとう、Y子さん

お話ししながらの施術はあっという間!
実は共通点が多い、Y子さんとわたし・・・。
同じ一児の母、しかも子供は同じ年。
そして、最近、カワイコちゃんが家族になって・・・

一児一犬の母(笑)
そして、同じく自分の母親がすでに他界していることも・・・。
Y子さんが高校生のとき、突然の病で他界されたお母様。
お姉さんは県外の大学に進学されていたので、突然、お父さんとの二人の生活に・・・。
私も高校生のときには母が長い闘病生活で入院をしていて、姉は結婚して家を出ており、父親との二人での生活でした。
食事とか、どうしていたのだろう?お弁当ってどうしていたんだっけ?
Y子さんとそんな話しをしながら、でも、お互い、なんか、記憶が飛んでいるよね~って

学校もちゃんと行っていたし、もちろんごはんもちゃんと食べていたし、洗濯もお弁当も自分でやっていたんだろうけど、
毎日の生活の細かいことが、まったく思い出せないよねって・・・。
それだけ、無我夢中だったということか?
Y子さんとの会話に悲壮感は全くなくて、そこが彼女の良いところでもあるんだけど、
でも、高校時代のY子さんに頑張ったね~って声かけてあげたくなっちゃった!!
巡り巡って、一児一犬(笑)の母になっている私達。
天国のお母さん、大丈夫!
ちゃんとやってますよ~!
そして、Y子さんのお母さん、家事を仕込まずに旅立たれてしまったけれど、ご心配なく~!
娘さん、家中、ピッカピカですから!

私は~というと・・・
時々、一喝が聞こえてきそうだな~(;^ω^)
はっ!!またしても長文に!!
アロマヨガ通常レッスンは今年は終了しましたが、来週月曜日、12月22日に、ヨガ&スイーツコラボレッスンがあります~

http://babyyoggy.naganoblog.jp/e1615382.html コチラは前回の様子
残席は、午前1席、午後は2席ございます!
前日の午前中まででしたら、申込可能です!
☎090-1703-7855 ✉baby.miya@sky.plala.or.jp
ご予約いただいている皆様、22日、お待ちしております

この日は、初めての方、そして、懐かしい方も来てくださる予定・・・
楽しみにしております~
おまんじゅうの湯気の暖かさ
結婚して、京都、いや、今は兵庫だった!に住んでいる幼なじみのYちゃん、
帰省してくるたび、会っているので、たぶん、松本に住んでいる友達よりも定期的に会っている?(笑)
そんな彼女、我が家へ訪ねてきてくれるとき、彼女のお母さんの手作りの品を携えてきてくれる。
お漬物だったり、煮物だったり、干し柿だったり・・・
その味は、どれも私達の時代の母の味!

先日、ひょっこり帰省してきて、訪ねてきてくれたときに持ってきてくれたのは、野沢菜漬けとおまんじゅう。
中味のあんこもおばちゃん特製!
「お母さんがね~、sora*hanaちゃんへあげて~って。好きだよね?こういうの!」
小学校時代からの付き合いのYちゃん。
当然、Yちゃんのお母さんのことも全盛期から知っている(笑)
20代の頃は、週の半分くらいはYちゃんのお宅へ寄っていたから、ムスメのように想っていてくれているYちゃんのお母さん。
私が梓川へ嫁いだとき、おばちゃんから「ちょっとsora*hanaちゃんのお家へ寄らせてもらってもいい?」って電話が来て、おばちゃん一人で訪ねてきてくれたときがあった。
その時も、煮物やら、漬物やら、いろいろ持ってきてくれて・・・
そして、「味付けが違うだろうから、お姑さんには内緒だよ!」って・・・(笑)
帰り際、挨拶に出てきてくれた義母に、
「娘のような子なので、よろしくお願いします。」って、挨拶を返してくれて・・・
完全アウェイ(笑)の所で心細さMaxだった私は、昔からの私を知ってくれているおばちゃんの来訪に、すごく元気をもらったんだよな~。
そして、ああ、お母さんの代わりをしてくれたんだと、おばちゃんに本当に本当に感謝した。
フフフ、Yちゃん、知ってた?
いい話しでしょ~(笑)
母はもうこの世にはいないけれど、私の周りには、こうして支えてくれる人たちが大勢いる。
私も、絶対に見守っていこうと思う子がいます。
彼女が成長したとき、
お母さんのことを知りたくなったとき、
お母さんの話しを、お母さんが遺した言葉をたくさん聞かせてあげようと思っている。
天国の彼女との約束だからね!
Yちゃんのお母さんのおまんじゅうは、懐かしい母の味がした。
美味しかったよ~、アリガトウ!
帰省してくるたび、会っているので、たぶん、松本に住んでいる友達よりも定期的に会っている?(笑)
そんな彼女、我が家へ訪ねてきてくれるとき、彼女のお母さんの手作りの品を携えてきてくれる。
お漬物だったり、煮物だったり、干し柿だったり・・・
その味は、どれも私達の時代の母の味!

先日、ひょっこり帰省してきて、訪ねてきてくれたときに持ってきてくれたのは、野沢菜漬けとおまんじゅう。
中味のあんこもおばちゃん特製!
「お母さんがね~、sora*hanaちゃんへあげて~って。好きだよね?こういうの!」
小学校時代からの付き合いのYちゃん。
当然、Yちゃんのお母さんのことも全盛期から知っている(笑)
20代の頃は、週の半分くらいはYちゃんのお宅へ寄っていたから、ムスメのように想っていてくれているYちゃんのお母さん。
私が梓川へ嫁いだとき、おばちゃんから「ちょっとsora*hanaちゃんのお家へ寄らせてもらってもいい?」って電話が来て、おばちゃん一人で訪ねてきてくれたときがあった。
その時も、煮物やら、漬物やら、いろいろ持ってきてくれて・・・
そして、「味付けが違うだろうから、お姑さんには内緒だよ!」って・・・(笑)
帰り際、挨拶に出てきてくれた義母に、
「娘のような子なので、よろしくお願いします。」って、挨拶を返してくれて・・・
完全アウェイ(笑)の所で心細さMaxだった私は、昔からの私を知ってくれているおばちゃんの来訪に、すごく元気をもらったんだよな~。
そして、ああ、お母さんの代わりをしてくれたんだと、おばちゃんに本当に本当に感謝した。
フフフ、Yちゃん、知ってた?
いい話しでしょ~(笑)
母はもうこの世にはいないけれど、私の周りには、こうして支えてくれる人たちが大勢いる。
私も、絶対に見守っていこうと思う子がいます。
彼女が成長したとき、
お母さんのことを知りたくなったとき、
お母さんの話しを、お母さんが遺した言葉をたくさん聞かせてあげようと思っている。
天国の彼女との約束だからね!
Yちゃんのお母さんのおまんじゅうは、懐かしい母の味がした。
美味しかったよ~、アリガトウ!
6月22日の空
18年目、今年の6月22日の空は曇り空・・・。

梅雨の季節なのに、毎年、晴れ間が見えたのだけど、今年は朝からしっとり、静かな18年目の朝でした。
それでも、午後、、お墓詣りに行く頃には、雲の間からかすかな青空
母が亡くなって、18年目の命日は、実家の父、姉と甥っ子Y、夫と娘と5人そろって、墓前に手を合わせ、静かに過ぎていきました。
母からしたら、ダンナさんと娘二人と孫たち・・・。
お母さんが繋いでくれた命は、こうして繋がっている。
命日の日に馳せる思いが、悲しさから、清々しさに変わってきたのは、ここ最近。
なんでかな?
だんだん、私も母になってきたということか・・・。
私が10歳になったころから、母の体調が優れないことが多くなってきた。
横顔がいつも疲れていて、みるみる痩せていって。
自分に厳しい人だった母は、家事も手抜きなし。
自営業の父の仕事の手伝いも、休みなし。
母と姉と3人で、しゃべりながら、夕飯の片づけして、片付け終わったら、3人でお茶しようねえって。
そんな些細なことが、、今となっては、とんでもなく尊いなあ。
マジメだけど、おおらかで、どこか楽観的で、でも高校球児も真っ青なくらいの根性の持ち主、負けず嫌い(苦笑)
そんなスーパー母さん、生きていたら75歳、どんなスーパーばあさんになっていたでしょう・・・(;^ω^)
命日の1週間前の日曜日、墓掃除を率先してやってくれている婿殿(笑)

自分の部屋の掃除は全くしないのに、お墓の掃除は、いつもすごく丁寧にやってくれます。
唯一(?)尊敬できるところ
母も空の上から感謝していることでしょう・・・。

そして、唯一の孫娘。
10歳のときの私そっくり・・・(;^ω^)
そして、私は、まさに40代の時の母そのもの・・・(笑)
遺影の写真を見て、娘に、「これ、ママ? ママじゃん!
」ってびっくりされたしね・・・
生きてますからー!
目の前にいますからー!
でも、こうして、命が繋がっているんだな。

18年目の命日も、父を囲んで、母が繋いでくれた家族が元気で手を合わせることができたことに感謝☆
また1年、道を歩いていくぞ
梅雨の季節なのに、毎年、晴れ間が見えたのだけど、今年は朝からしっとり、静かな18年目の朝でした。
母が亡くなって、18年目の命日は、実家の父、姉と甥っ子Y、夫と娘と5人そろって、墓前に手を合わせ、静かに過ぎていきました。
母からしたら、ダンナさんと娘二人と孫たち・・・。
お母さんが繋いでくれた命は、こうして繋がっている。
命日の日に馳せる思いが、悲しさから、清々しさに変わってきたのは、ここ最近。
なんでかな?
だんだん、私も母になってきたということか・・・。
私が10歳になったころから、母の体調が優れないことが多くなってきた。
横顔がいつも疲れていて、みるみる痩せていって。
自分に厳しい人だった母は、家事も手抜きなし。
自営業の父の仕事の手伝いも、休みなし。
母と姉と3人で、しゃべりながら、夕飯の片づけして、片付け終わったら、3人でお茶しようねえって。
そんな些細なことが、、今となっては、とんでもなく尊いなあ。
マジメだけど、おおらかで、どこか楽観的で、でも高校球児も真っ青なくらいの根性の持ち主、負けず嫌い(苦笑)
そんなスーパー母さん、生きていたら75歳、どんなスーパーばあさんになっていたでしょう・・・(;^ω^)
命日の1週間前の日曜日、墓掃除を率先してやってくれている婿殿(笑)
自分の部屋の掃除は全くしないのに、お墓の掃除は、いつもすごく丁寧にやってくれます。
唯一(?)尊敬できるところ

母も空の上から感謝していることでしょう・・・。
そして、唯一の孫娘。
10歳のときの私そっくり・・・(;^ω^)
そして、私は、まさに40代の時の母そのもの・・・(笑)
遺影の写真を見て、娘に、「これ、ママ? ママじゃん!


生きてますからー!


でも、こうして、命が繋がっているんだな。
18年目の命日も、父を囲んで、母が繋いでくれた家族が元気で手を合わせることができたことに感謝☆
また1年、道を歩いていくぞ

本当は教えたくない穴場のパンランチ(笑)
5月、一番、好きな季節が終わってしまいましたー!
カナシー(笑)
新緑の緑が鮮やかで、風のそよそよ感も心地よくって、晴天率高めの松本の5月の空はスカイブルー
頬を伝う風が、空の遠くへ逝ってしまった大切な人たちを近くへ連れてきてくれるような気もするのです・・・。
さて、さて、そんな大好きな5月のランチコレクションを・・・

KOBAnの、パンランチ!
高校の同級生のNさんとと、彼女からつながった、こちらもNさん
と。
毒のある私(笑)に比べて、天使のような二人・・・(;^ω^)
KOBAn店主とワタシ、二人と話して、浄化されましたわー!!
普段は、木曜日のみオープンしているパン屋さんですが、予約ランチが可能です~!
あまりに穴場過ぎて、ホントは教えたくないところですが・・・(笑)
パンランチとピザランチがあります
パンはマフィンとベーグルからチョイスできますー。
私は、この日はマフィンをチョイス。
見てください!この暑さ!!じゃなかった、厚さ!!
某メーカーの小売マフィンの2倍はある厚さですよー!!

ウエルカムドリンク、スープに、サラダに、デザート、ドリンクまでついて、1200円、いや、1000円だったか?
居心地よくて、ホント、穴場ですー!あんまり教えたくないですが・・・(笑)
気になる方は、KOBAnのブログへ~どうぞ~。
店主も含めて、みんな同世代。
親の年齢も気になる世代です。
実家の父親も、ことし79歳!
こうやって、数字に書くと、びっくりしますね!
私には、6歳上に姉がいて、長女である姉からすると、父親も母親も、フツーに若い両親だったと思うのですが、6歳下の私にしたら、そのときの両親の年齢は、同級生の両親たちより、ずっと上だったように思う。
同級生の両親たちよりも、年を取っているってことが、当時はすごくイヤで、友達の若いお母さんとかがうらやましく感じたこともありました。
でもねー、私が娘を出産した年齢って、実は母が私を出産した年齢よりも2歳も上なんですよー(笑)
年取ってる母親って、アンタの方だっつーの!って、空の上から母親に突っ込まれそうですが・・・(;^ω^)
6月、母の命日がやってきます。
またこの季節が巡ってきたなあという感じ。
この風のそよぎ具合は、何年たっても変わらない。
母の声が聞こえてくるようです。
おとうさん、私の分まで、長生きしてくれてありがとう。
でも、あと、もう少し、頑張って、孫と娘の行く末を見届けてちょうだい。
ちゃんと待っているからね~
本当に、母亡き後、母の分まで、子供と孫に愛情とそれ以上の救援物資を届けてくれた父。
同じこと、娘にできるかなあって思います。
おかあさん、おかあさんの声が聞きたくなるときがあるんだよう
私は、おかあさんにますます似てきています
おばあちゃんになったおかあさんを、いつの日か私が再現できるでしょう・・・(笑)
カナシー(笑)
新緑の緑が鮮やかで、風のそよそよ感も心地よくって、晴天率高めの松本の5月の空はスカイブルー

頬を伝う風が、空の遠くへ逝ってしまった大切な人たちを近くへ連れてきてくれるような気もするのです・・・。
さて、さて、そんな大好きな5月のランチコレクションを・・・

KOBAnの、パンランチ!
高校の同級生のNさんとと、彼女からつながった、こちらもNさん

毒のある私(笑)に比べて、天使のような二人・・・(;^ω^)
KOBAn店主とワタシ、二人と話して、浄化されましたわー!!
普段は、木曜日のみオープンしているパン屋さんですが、予約ランチが可能です~!
あまりに穴場過ぎて、ホントは教えたくないところですが・・・(笑)
パンランチとピザランチがあります

パンはマフィンとベーグルからチョイスできますー。
私は、この日はマフィンをチョイス。
見てください!この暑さ!!じゃなかった、厚さ!!
某メーカーの小売マフィンの2倍はある厚さですよー!!
ウエルカムドリンク、スープに、サラダに、デザート、ドリンクまでついて、1200円、いや、1000円だったか?
居心地よくて、ホント、穴場ですー!あんまり教えたくないですが・・・(笑)
気になる方は、KOBAnのブログへ~どうぞ~。
店主も含めて、みんな同世代。
親の年齢も気になる世代です。
実家の父親も、ことし79歳!

こうやって、数字に書くと、びっくりしますね!
私には、6歳上に姉がいて、長女である姉からすると、父親も母親も、フツーに若い両親だったと思うのですが、6歳下の私にしたら、そのときの両親の年齢は、同級生の両親たちより、ずっと上だったように思う。
同級生の両親たちよりも、年を取っているってことが、当時はすごくイヤで、友達の若いお母さんとかがうらやましく感じたこともありました。
でもねー、私が娘を出産した年齢って、実は母が私を出産した年齢よりも2歳も上なんですよー(笑)
年取ってる母親って、アンタの方だっつーの!って、空の上から母親に突っ込まれそうですが・・・(;^ω^)
6月、母の命日がやってきます。
またこの季節が巡ってきたなあという感じ。
この風のそよぎ具合は、何年たっても変わらない。
母の声が聞こえてくるようです。
おとうさん、私の分まで、長生きしてくれてありがとう。
でも、あと、もう少し、頑張って、孫と娘の行く末を見届けてちょうだい。
ちゃんと待っているからね~
本当に、母亡き後、母の分まで、子供と孫に愛情とそれ以上の救援物資を届けてくれた父。
同じこと、娘にできるかなあって思います。
おかあさん、おかあさんの声が聞きたくなるときがあるんだよう
私は、おかあさんにますます似てきています
おばあちゃんになったおかあさんを、いつの日か私が再現できるでしょう・・・(笑)
空に願う、母のこと
年明けから、同世代3人の友人から相次いで届いた、お母様の訃報。
闘病の末、亡くなられた・・・
突然、亡くなってしまった・・・
旅立ち方はおひとり、おひとり、想いもそれぞれ・・・。
同世代だから、みんな、イイ年になっているんだけど、
それでもやっぱり、母がこの世界から旅立ってしまうってことは、自分の一部がなくなってしまったようで、喪失感が大きい。
苦しい闘病生活を支えた友人は、お母さんが旅立ったとき、ホッとしたと言っていた。
もう、痛みも苦しさも感じなくてすむ、やっと、お母さん、楽になれたと・・・。
私もそうだった。
母は10年間の闘病生活を送っていて、自由にならない身体に、私たち家族にもすごく気を使っていたと思う。
頼まないといけないことが日常生活にたくさんあったから・・・。
最期の日々は、痛くて、苦しくて、寝ていることさえ辛い状態だったから、お母さんが旅立っていったとき、その瞬間は、悲しみより、
「お疲れ様、がんばった、がんばったね。」
そんな気持ちだったように思う。
喪失感が現れたのは亡くなって1年過ぎてから・・・
同じ季節が巡ってきたのに、
そこには、去年までいたはずの、「お母さん」の姿がなかったから。
親は子供よりも先に死ぬ。
そうでなくてはいけない。
親を看取ってあげることは、実は最大の親孝行だ。
母が亡くなって、18年。
思い出さない日はない。
姿は見えないけれど、いつでも近くに、そばにいる気がする。
見えない念力で応援してくれてるって感じるからかなあ。
空を見上げて、いつも想う。

守ってください、孫たちを!
そして、いつか、会える日まで、今をしっかり生きなさいとカツを入れられている気がする。
闘病の末、亡くなられた・・・
突然、亡くなってしまった・・・
旅立ち方はおひとり、おひとり、想いもそれぞれ・・・。
同世代だから、みんな、イイ年になっているんだけど、
それでもやっぱり、母がこの世界から旅立ってしまうってことは、自分の一部がなくなってしまったようで、喪失感が大きい。
苦しい闘病生活を支えた友人は、お母さんが旅立ったとき、ホッとしたと言っていた。
もう、痛みも苦しさも感じなくてすむ、やっと、お母さん、楽になれたと・・・。
私もそうだった。
母は10年間の闘病生活を送っていて、自由にならない身体に、私たち家族にもすごく気を使っていたと思う。
頼まないといけないことが日常生活にたくさんあったから・・・。
最期の日々は、痛くて、苦しくて、寝ていることさえ辛い状態だったから、お母さんが旅立っていったとき、その瞬間は、悲しみより、
「お疲れ様、がんばった、がんばったね。」
そんな気持ちだったように思う。
喪失感が現れたのは亡くなって1年過ぎてから・・・
同じ季節が巡ってきたのに、
そこには、去年までいたはずの、「お母さん」の姿がなかったから。
親は子供よりも先に死ぬ。
そうでなくてはいけない。
親を看取ってあげることは、実は最大の親孝行だ。
母が亡くなって、18年。
思い出さない日はない。
姿は見えないけれど、いつでも近くに、そばにいる気がする。
見えない念力で応援してくれてるって感じるからかなあ。
空を見上げて、いつも想う。
守ってください、孫たちを!
そして、いつか、会える日まで、今をしっかり生きなさいとカツを入れられている気がする。
2014年、お節料理に込めた思い
2014年が明けて、早2週間・・・
いや~、今年の年末年始の休みは長かった!!
こんなに長いこと、オットと家にいたのは、新婚旅行以来か!?
あ~、長かった!!!!
娘については、先週の木曜日から新学期が始まりましたが、すぐに3連休へ突入・・・(-_-;)
長い正月だらだらモードでしたが、やっと、今日から日常の生活が戻ってきました。
今年は、お節料理、頑張りましたよー!
姑と協力して、ほとんど作りました。

買ったものは、蒲鉾と数の子くらい・・・?
黒豆はお姑さんが炊いて、
なます、たたきごぼう、昆布巻き、田作り、八幡巻き
あと、写真にはありませんが、伊達巻も作りました!
昆布巻きは、大根とにんじん、揚げをモザイク状にした野菜巻きバージョン!
かんぴょうも炊いて、娘も巻き巻きいっしょにやって、
本の通りにやりましたが、けっこううまくいくもんですな!
亡くなった母は、元気だったころは、必ず作っていたお節料理。
年末、もrもろの家事を終えたあと、少しづつ仕上げて、毎晩遅くまで台所に立っていました。
そんな記憶が40年近くたった今でも、覚えている。
おばあちゃんとママと3人でお節を作ったなあ・・・と
そんな記憶を娘にも感じてほしいなあと思いつつ・・・。

こちらは、私の実家用。
一人暮らしの父ですが、年末は毎年姉の家へお呼ばれ。
元旦は私たちが実家へ。
お姑さんが、実家のお父さん用にって、折りを用意してくれました。
ありがたい心遣いです。
今年も、家族全員、元気に新年を迎えることができたことがまず幸せ。
改めまして、今年もよろしくだワン♪

いや~、今年の年末年始の休みは長かった!!
こんなに長いこと、オットと家にいたのは、新婚旅行以来か!?
あ~、長かった!!!!
娘については、先週の木曜日から新学期が始まりましたが、すぐに3連休へ突入・・・(-_-;)
長い正月だらだらモードでしたが、やっと、今日から日常の生活が戻ってきました。
今年は、お節料理、頑張りましたよー!
姑と協力して、ほとんど作りました。
買ったものは、蒲鉾と数の子くらい・・・?
黒豆はお姑さんが炊いて、
なます、たたきごぼう、昆布巻き、田作り、八幡巻き
あと、写真にはありませんが、伊達巻も作りました!
昆布巻きは、大根とにんじん、揚げをモザイク状にした野菜巻きバージョン!
かんぴょうも炊いて、娘も巻き巻きいっしょにやって、
本の通りにやりましたが、けっこううまくいくもんですな!
亡くなった母は、元気だったころは、必ず作っていたお節料理。
年末、もrもろの家事を終えたあと、少しづつ仕上げて、毎晩遅くまで台所に立っていました。
そんな記憶が40年近くたった今でも、覚えている。
おばあちゃんとママと3人でお節を作ったなあ・・・と
そんな記憶を娘にも感じてほしいなあと思いつつ・・・。
こちらは、私の実家用。
一人暮らしの父ですが、年末は毎年姉の家へお呼ばれ。
元旦は私たちが実家へ。
お姑さんが、実家のお父さん用にって、折りを用意してくれました。
ありがたい心遣いです。
今年も、家族全員、元気に新年を迎えることができたことがまず幸せ。
改めまして、今年もよろしくだワン♪
75回目の・・・
歌手の島倉千代子さんが亡くなられた。
享年75歳。
人生いろいろ~を歌ってた人か~、
そうか、亡くなったんだ、75歳だったんだ~
とニュースを見ていた私が、次の言葉で釘づけになった。
「島倉さんは、昭和13年生まれで・・・」
昭和13年?
母と同じ生まれ年・・・
そうか、母も生きていたら、75歳になるのか。
どんなおばあちゃんになっていただろうか、
白髪がキレイで、顔のしわもあまりなくて・・・
細い指先は、きっと変わらないまま・・・
孫達のことを呼ぶときは、きっと、さん付けで呼ぶのかなあ・・・
あ、娘だけは、ちゃん付けで呼んでいるかな。
想像して、ニヤッとしてしまう。
おばあちゃんって呼ばれる前に逝ってしまったけれど、
想像できる、なんとなく。
そんなことを思いながら、夜、娘とテレビを見ていたら、
セレブが行くリゾート海外旅行みたいな番組をやっていて、
「わ~、いいねえ、こんな景色、眺めてみたい~!
soraちゃんは、これからこんなところへ行ける可能性が未知数あるよね~」
と私。
「連れて行ってあげるよ!」
とムスメ!!
「だから、元気でいてね!」とも・・・。
そーだね、そーだね!
元気でいなきゃね。
70過ぎても、飛行機乗って、羽ばたくように!
孫も一緒に海外行きたいね!
写真の母はいつまでも若い。
私は、ますます母に似てきた。
おかーさん、孫娘、扱いにくいことが多くなってきたけれど、
優しいところ、たくさんあるよ。
今月28日は、母の75回目の誕生日。
母の好物はなんだったかな?
空に向かって問いかけてみる。
享年75歳。
人生いろいろ~を歌ってた人か~、
そうか、亡くなったんだ、75歳だったんだ~
とニュースを見ていた私が、次の言葉で釘づけになった。
「島倉さんは、昭和13年生まれで・・・」
昭和13年?
母と同じ生まれ年・・・
そうか、母も生きていたら、75歳になるのか。
どんなおばあちゃんになっていただろうか、
白髪がキレイで、顔のしわもあまりなくて・・・
細い指先は、きっと変わらないまま・・・
孫達のことを呼ぶときは、きっと、さん付けで呼ぶのかなあ・・・
あ、娘だけは、ちゃん付けで呼んでいるかな。
想像して、ニヤッとしてしまう。
おばあちゃんって呼ばれる前に逝ってしまったけれど、
想像できる、なんとなく。
そんなことを思いながら、夜、娘とテレビを見ていたら、
セレブが行くリゾート海外旅行みたいな番組をやっていて、
「わ~、いいねえ、こんな景色、眺めてみたい~!
soraちゃんは、これからこんなところへ行ける可能性が未知数あるよね~」
と私。
「連れて行ってあげるよ!」
とムスメ!!
「だから、元気でいてね!」とも・・・。
そーだね、そーだね!
元気でいなきゃね。
70過ぎても、飛行機乗って、羽ばたくように!
孫も一緒に海外行きたいね!
写真の母はいつまでも若い。
私は、ますます母に似てきた。
おかーさん、孫娘、扱いにくいことが多くなってきたけれど、
優しいところ、たくさんあるよ。
今月28日は、母の75回目の誕生日。
母の好物はなんだったかな?
空に向かって問いかけてみる。
6月22日の空
今年の6月22日、朝は曇りがち、天気雨もパラパラと・・・
母の命日、17回目。
1年、1年、月日が流れて、え~、もう、17年!!
そっか、あのとき生まれた初孫、双子は高校2年生だもん。
空は17年前と変わりません。
すべてを包み込んでくれています。
この日は、初孫の一人が通っている高校の文化祭でした。
私の母校でもあります。
15歳、現役で受験のとき、母の叱咤の一言で、自分にカツを入れたと思ってる。
そうなんだよな~、母は、叱咤激励ではなく、叱咤だけしたのよ~(笑)
多分、あのとき、激励されていたら、逆に、
「そんなこと言われても、ムリだよ、もう・・・」
ってあきらめちゃっていたと思う。
そして、不合格だったときに、激励してくれたんだよな。
笑って、「大丈夫、アナタならできる!」って・・・。
お母さん・・・・
結局、高校には一度も連れてきてあげることができなかったね。
私が通っている3年間、お母さんはずっと病院だった。
あの頃、お母さんはどんな思いでいたんだろう・・・。
日に日に自由がきかなくなってくる体に絶望を感じながら、苦しかったんだろうな・・・。
でも、私も母となって気付いたことがある。
多分、お母さんは、病院の渡り廊下から、私がいるであろう高校の方角を見つめていたんじゃないか・・・
そして、けがしませんように、授業についていけてますように、友達と楽しく過ごしていますようにって、祈っていてくれたんじゃないか・・・
部活を終えて、向かうのは、入院先の病院。
病室に入ると、いただきもののお菓子や、食事で出たパンや、私が好きそうなおかずを取っておいてくれて、
「食べな~」って
今の私も同じだ。
買い物に行っても、あ、これ好きそうだなって、ムスメの顔を思い浮かべて、買い物してる。
おいしいいただきものは、取っておいて、おやつにあげようって思う。
子供の幸せを願わない親なんていない。
苦労ばっかりだった母親を思うと、幸せだったのかな?って立ち止まってしまうことがあるけれど、
でも、幸せだったんだと思いたい。
姉と私、二人の娘に恵まれて・・・。
母の人生は幸せだったと思うことができるようになるために、私も娘を授けてもらえて、母にしてもらったんじゃないかと思う。
子供の幸せが親の幸せでもあるんだから。
そんな気づきを得た、17年目の命日でした。
2012年回顧 二人展
またしても銀世界・・・
朝のザンザン降りではどうなることかと思いましたが、道路の雪はすでに溶けてきている感じ。
でも、夕方から冷え込めば、明日の朝はアイスバーン状態・・・?
今日は、雪のため、予定していたレッスンを中止にさせていただきました。
連絡が行き届かず、会場へ行ってしまわれた方、ごめんなさ~い
安原地区のヨガは、来週13日に行います~
そして、午後のレッスンも、中止になり、久々、一日ゆっくり過ごしております
最近、Facebookを始めまして・・・
そちらを開くことが増え、ブログアップが怠りがちになっております(・・;)
静かな一日、改めて、2012年の回顧を・・・
年末に、急遽、開くことになった、両親の詩の個展、「二人展」
年の瀬の忙しく、また、極寒の寒さが続いた週にもかかわらず、本当に大勢の方々が足を運んでくださいました。
昨年は、母の十七回忌の年にあたり、身内だけで法要はすませましたが、
ある方に、
「こういった供養の仕方もあるのですね・・・。心を打たれました。」
とおっしゃっていただき、
17年目にこうやって、家族に供養させてしまう母ってスゴイわ~と、改めて母の偉大さに気づかせてもらいました(笑)
今回の個展には、私の友人、母が健在だった頃からの友人、亡くなった後に知り合った友人、知人がたくさん来てくれました。
みんな、子育て、仕事、忙しい合間をぬって、でも、作品ひとつひとつ、真摯に、そして涙しながら読んでくれて、本当に、感謝と感激で言葉にならないくらい。
きっと、母も傍らで見ていてくれたことと思います。
そして、母として、「ありがとうね、どうか、いつまでも、良い友達でいてやってください
」って、おひとり、おひとりにお礼を言っていたに違いない。
私には、
「良い人たちに囲まれて、人生を歩んできたんだね。お母さん、安心したよ
」って、言ってくれていると思う。
母が亡くなって、17年、長いようであっという間に過ぎている。
でも、こうして、「詩」という「ことば」を遺してくれたおかげで、母の存在は未だに近くに感じます。
産後の本当に苦しいときに、助けてくれたのは、母が遺してくれた「ことば」だった。
ありがとう、お母さん
私も今、お母さんをやっているよ!
優しい娘に育っているよ!
義理の息子も働き者ですよ~(笑)
ステキな友人に囲まれて、やりがいのある仕事を頑張っているよ!
お母さんから繋がっている道、枝葉がたくさん出て、広がりながらちゃんと繋がっています。
「二人展」にお越しくださった皆様・・・
今更ですが、本当に本当にありがとうございました。

朝のザンザン降りではどうなることかと思いましたが、道路の雪はすでに溶けてきている感じ。
でも、夕方から冷え込めば、明日の朝はアイスバーン状態・・・?

今日は、雪のため、予定していたレッスンを中止にさせていただきました。
連絡が行き届かず、会場へ行ってしまわれた方、ごめんなさ~い

安原地区のヨガは、来週13日に行います~
そして、午後のレッスンも、中止になり、久々、一日ゆっくり過ごしております

最近、Facebookを始めまして・・・
そちらを開くことが増え、ブログアップが怠りがちになっております(・・;)
静かな一日、改めて、2012年の回顧を・・・
年末に、急遽、開くことになった、両親の詩の個展、「二人展」
年の瀬の忙しく、また、極寒の寒さが続いた週にもかかわらず、本当に大勢の方々が足を運んでくださいました。
ある方に、
「こういった供養の仕方もあるのですね・・・。心を打たれました。」
とおっしゃっていただき、
17年目にこうやって、家族に供養させてしまう母ってスゴイわ~と、改めて母の偉大さに気づかせてもらいました(笑)
今回の個展には、私の友人、母が健在だった頃からの友人、亡くなった後に知り合った友人、知人がたくさん来てくれました。
みんな、子育て、仕事、忙しい合間をぬって、でも、作品ひとつひとつ、真摯に、そして涙しながら読んでくれて、本当に、感謝と感激で言葉にならないくらい。
きっと、母も傍らで見ていてくれたことと思います。
そして、母として、「ありがとうね、どうか、いつまでも、良い友達でいてやってください

私には、
「良い人たちに囲まれて、人生を歩んできたんだね。お母さん、安心したよ

母が亡くなって、17年、長いようであっという間に過ぎている。
でも、こうして、「詩」という「ことば」を遺してくれたおかげで、母の存在は未だに近くに感じます。
産後の本当に苦しいときに、助けてくれたのは、母が遺してくれた「ことば」だった。
ありがとう、お母さん

私も今、お母さんをやっているよ!
優しい娘に育っているよ!
義理の息子も働き者ですよ~(笑)
ステキな友人に囲まれて、やりがいのある仕事を頑張っているよ!
お母さんから繋がっている道、枝葉がたくさん出て、広がりながらちゃんと繋がっています。
「二人展」にお越しくださった皆様・・・
今更ですが、本当に本当にありがとうございました。
タグ :母
母十七回忌・二人展
母の十七回忌であった今年・・・
2012年もあとわずかとなった年の瀬、
母と父の詩の個展、「二人展」を開催することになりました。


40代半ばで、思いがけない病に倒れ、一人では歩けなくなってしまった母、
8年の入院生活の中で、薬の袋の裏に詩を書き溜め、
その後、自宅へ戻って2年、ベッドの上でコツコツ詩作を続けていた母、
今回、17年目に蘇りました
母亡き後、その意思を受け継いで詩作を始めた父、
今では詩作品を発表し、松本市長賞を始め、数々の賞に輝いています
そんな父の作品も展示しています。
そして、ワタシも天国の母へ向けて、2作品ほど出展

松本市のMウイングで、明日から27日午前中まで開催しています。
お時間ある方、パルコにお買い物がてらチラッと覗いてもらえたら嬉しいです
2012年もあとわずかとなった年の瀬、
母と父の詩の個展、「二人展」を開催することになりました。
40代半ばで、思いがけない病に倒れ、一人では歩けなくなってしまった母、
8年の入院生活の中で、薬の袋の裏に詩を書き溜め、
その後、自宅へ戻って2年、ベッドの上でコツコツ詩作を続けていた母、
今回、17年目に蘇りました

今では詩作品を発表し、松本市長賞を始め、数々の賞に輝いています

そんな父の作品も展示しています。
そして、ワタシも天国の母へ向けて、2作品ほど出展
松本市のMウイングで、明日から27日午前中まで開催しています。
お時間ある方、パルコにお買い物がてらチラッと覗いてもらえたら嬉しいです

6月22日の空
この日は、母の16回目の命日
毎年、梅雨の晴れ間、朝から太陽がてりつけるのですが・・・
今年は、梅雨空、曇り

でも、雲の合間から、青空も見えてきた

重いランドセル背負って、登校していく孫娘を空から応援しているような・・・

先週の日曜日には、十七回忌の法要もすませ、またひとつの区切り。
十七回忌ともなると、本当に家族だけですが、でも、新しい家族が増えて、道は大きく広がっている。
お母さんがいなくて、さみしいことも、つらいこともたくさんあったけど、でも、命のバトンを渡してもらったから、私もバトンを渡すまでは、歩いていくよ

タグ :母
15年目
6月22日、15年前のこの日も朝からこんな青空でした



母の姿が思い出になって、15年
女の子にしか受け継がれないというDNA
母から私へ、私から娘へ、母が精一杯生きてきたという証は繋がっています。
私がきちんと生きることで、母の人生もよりよく生きる。

母の通夜の日、大きなお腹を抱えて、かけつけてくれた友人から、
「おばちゃんのお仏前にお供えしてね」
と手作りのケーキ。
あの時、お腹にいた子は、もう中3、受験生です。
15年の歴史が着実に積み重なっている。
娘が生まれてから、お母さんに助けて欲しいこと、聞きたいこと、たくさんあった。
産後、心身共に疲れ果ててしまったとき、お母さんがいたら・・・、お母さんと会話ができないことに絶望的な気持ちになったりした。
あの頃は本当によく泣いていた。
おばあちゃんになったお母さんと話してみたかったな
どんなおばあちゃんになっていたんだろう・・・?
ワタシは元気なばあさんになるわよ
青空見上げて、パワーもらって、
お母さん、頑張るよ、お母さんの子供だからね!

母の姿が思い出になって、15年
女の子にしか受け継がれないというDNA
母から私へ、私から娘へ、母が精一杯生きてきたという証は繋がっています。
私がきちんと生きることで、母の人生もよりよく生きる。
母の通夜の日、大きなお腹を抱えて、かけつけてくれた友人から、
「おばちゃんのお仏前にお供えしてね」
と手作りのケーキ。
あの時、お腹にいた子は、もう中3、受験生です。
15年の歴史が着実に積み重なっている。
娘が生まれてから、お母さんに助けて欲しいこと、聞きたいこと、たくさんあった。
産後、心身共に疲れ果ててしまったとき、お母さんがいたら・・・、お母さんと会話ができないことに絶望的な気持ちになったりした。
あの頃は本当によく泣いていた。
おばあちゃんになったお母さんと話してみたかったな

どんなおばあちゃんになっていたんだろう・・・?
ワタシは元気なばあさんになるわよ

青空見上げて、パワーもらって、
お母さん、頑張るよ、お母さんの子供だからね!
マドンナ・ヴェルデ
見逃してしまうことが多々あるので、連続ドラマはほとんど見ないようになってしまった私ですが、新しいテレビにしたら、録画機能付きなので、機械オンチの私でも簡単に録画ができ、この春からの連ドラはいくつか見ています
その中でも、出産にまつわるドラマ、気になって見ています。
「マドンナ・ヴェルデ」~娘のために産むこと~
病気のため、胎児ごと子宮を摘出してしまった娘のために、55歳の母が代理出産をするというお話。
娘を持つ母として、非常に考えさせられる。
やっと授かった赤ちゃん、でも、子宮を摘出しなければ、自分の命がない・・・。
自分の命と引き換えに赤ちゃんを死なせてしまったと悔やむ娘・・・。
どうしても赤ちゃんが欲しいと母の腕の中で泣きじゃくる・・・。
子供を持たない人生もあると導いてあげるのも親の務め。
でも、子供を持つ人生を知ってしまった母親は、娘にも同じ思いをさせてあげたいと思ってしまうのではないか・・・
私の姉は、結婚後、なかなか子供を授かることができず、何年も不妊治療に通っていました。
その頃、母は病気のため、手足が不自由になっており、車いすの生活でした。
不妊治療に通う姉に、
「こんな弱いお母さんでも、二人、産めたのにねえ・・・。」と、ポツリと言ったことがありました。
そして、歩く事の出来ない母が、当時はあまり知られていなかった、今では全国で知らない人はいないという産科医の記事を新聞で見つけ、その記事を切り抜き、姉にこの先生に診てもらいなさいと強く勧めたのです。
その後、その先生に診てもらい、子宮筋腫の手術をした後、半年後に妊娠、双子を出産しました。
初孫の誕生の2か月後、母は天国へと旅立ちました。
最期に、両腕に二人を抱きしめて・・・。
あの時、母が新聞記事を見つけ、記事を姉に渡して、姉の背中を押さなかったら、多分、双子は授からなかったはず。
子供を持つ人生を知っていた母は、やはり、娘にも願わくば、その人生を味わせたかったのでないかと思う。
姉も諦めかけていた妊娠だったけど、母だけは諦めなかったんだな・・・、きっと。
子供を持たない人生もあると私は思う。
欲しくても出来ない人もいるし、病気のために諦めざるを得なかった人もいる。
人それぞれ、その人にしかわからない事情もある。
大切なのは、人生の流れを享受すること。
人間はつい自分と他人を比べて、自分の足りないことばかり目を向けてしまいがちだけど、自分の人生を受け入れるってことが大事なんだ
となると、代理出産は、流れに反していることなのか・・・?
でも、母だから、母だからこそ、娘の究極の願いを命と引き換えにしてでも叶えてあげたいと思うのかな・・・。
来月、母の15回目の命日がやってきます。
緑が眩しくなり始めたこの時期、この新緑の眩しさ、この風の匂いが、会社の昼休みに母の病院まで自転車で必死に通ったことを思い出させます。
この季節、毎年そうだけど、母のことをいつも以上に思い出す。
多分、近くに来てくれているんだね

その中でも、出産にまつわるドラマ、気になって見ています。
「マドンナ・ヴェルデ」~娘のために産むこと~
病気のため、胎児ごと子宮を摘出してしまった娘のために、55歳の母が代理出産をするというお話。
娘を持つ母として、非常に考えさせられる。
やっと授かった赤ちゃん、でも、子宮を摘出しなければ、自分の命がない・・・。
自分の命と引き換えに赤ちゃんを死なせてしまったと悔やむ娘・・・。
どうしても赤ちゃんが欲しいと母の腕の中で泣きじゃくる・・・。
子供を持たない人生もあると導いてあげるのも親の務め。
でも、子供を持つ人生を知ってしまった母親は、娘にも同じ思いをさせてあげたいと思ってしまうのではないか・・・
私の姉は、結婚後、なかなか子供を授かることができず、何年も不妊治療に通っていました。
その頃、母は病気のため、手足が不自由になっており、車いすの生活でした。
不妊治療に通う姉に、
「こんな弱いお母さんでも、二人、産めたのにねえ・・・。」と、ポツリと言ったことがありました。
そして、歩く事の出来ない母が、当時はあまり知られていなかった、今では全国で知らない人はいないという産科医の記事を新聞で見つけ、その記事を切り抜き、姉にこの先生に診てもらいなさいと強く勧めたのです。
その後、その先生に診てもらい、子宮筋腫の手術をした後、半年後に妊娠、双子を出産しました。
初孫の誕生の2か月後、母は天国へと旅立ちました。
最期に、両腕に二人を抱きしめて・・・。
あの時、母が新聞記事を見つけ、記事を姉に渡して、姉の背中を押さなかったら、多分、双子は授からなかったはず。
子供を持つ人生を知っていた母は、やはり、娘にも願わくば、その人生を味わせたかったのでないかと思う。
姉も諦めかけていた妊娠だったけど、母だけは諦めなかったんだな・・・、きっと。
子供を持たない人生もあると私は思う。
欲しくても出来ない人もいるし、病気のために諦めざるを得なかった人もいる。
人それぞれ、その人にしかわからない事情もある。
大切なのは、人生の流れを享受すること。
人間はつい自分と他人を比べて、自分の足りないことばかり目を向けてしまいがちだけど、自分の人生を受け入れるってことが大事なんだ
となると、代理出産は、流れに反していることなのか・・・?
でも、母だから、母だからこそ、娘の究極の願いを命と引き換えにしてでも叶えてあげたいと思うのかな・・・。
来月、母の15回目の命日がやってきます。
緑が眩しくなり始めたこの時期、この新緑の眩しさ、この風の匂いが、会社の昼休みに母の病院まで自転車で必死に通ったことを思い出させます。
この季節、毎年そうだけど、母のことをいつも以上に思い出す。
多分、近くに来てくれているんだね

手紙
手紙、わりと筆まめな方だと思います
昔から手紙を書くのが好きだったし(自分の字は好きじゃありませんが・・・
)、学生時代も友達によく書きました。
言葉にすると、伝えにくいことも、手紙にすると、伝えやすい。
書いている間、相手のことをずっと考えるし、頭の中で整理しながら書くので、細切れになっている想いがパズルのピースみたいにつながっていく過程も好きです。
そして、手紙の文字はその人を表してくれる
年明け、遅れて届いた年賀状、10年前、結婚ととも、新しい土地へ旅立っていった友人から・・・
今度は、一人で新しく出発しているそうな
いろいろあったのだろうけど、ハガキの彼女の文字には、すべてを超えた潔さ、清々しさがあった
年を重ねていくと、自分一人で超えなければいけない出来事もあります。
そうだんしましょ、そうしましょ~って、簡単に相談できる悩みじゃない場合もあるし・・・。
20代前半、病気の母親の看護を一人でこなし、そして、たった一人でお母さんを見取った彼女。
遠く離れて、もう10年近くあってはいないけれど、彼女の幸せを願わずにはいられません。
彼女が彼女らしく、今日を明日をハッピーに過ごせますよう、天国のお母様、どうぞ、見守っていてくださいね。
手紙といえば・・・、
私も亡き母から、たくさんの手紙をもらっています。
病気になって、体の自由が効かなくなった頃から、大事な時には、いつも手紙をくれました。
高校受験のとき、誕生日、節目節目に真っ白い便せんに、えんぴつでキレイに書かれていました。
その中の一枚、
母の初めての詩集が出来上がったときに、詩集と共に渡してくれた手紙

母の文字を見ると、母の存在をここに感じます。
お母さんに会いたいなあと思ったら、手紙を読み返してみる。
母亡きあとに出産した私、
娘が生まれてから、心身共にいっぱいいっぱいになっていたとき、ふと、読み返したこの手紙、
そこには、びっくりする言葉があった!
詩集の題字、「くるまいす」の文字の色は、水色
その色について、母はこう書いてありました。
「お母さんの大好きな空の色です。」
娘の名前がありました
おかあさん、ありがとう、ありがとう。
知っていたのかな、いつか、空がきてくれるって

昔から手紙を書くのが好きだったし(自分の字は好きじゃありませんが・・・

言葉にすると、伝えにくいことも、手紙にすると、伝えやすい。
書いている間、相手のことをずっと考えるし、頭の中で整理しながら書くので、細切れになっている想いがパズルのピースみたいにつながっていく過程も好きです。
そして、手紙の文字はその人を表してくれる

年明け、遅れて届いた年賀状、10年前、結婚ととも、新しい土地へ旅立っていった友人から・・・
今度は、一人で新しく出発しているそうな

いろいろあったのだろうけど、ハガキの彼女の文字には、すべてを超えた潔さ、清々しさがあった

年を重ねていくと、自分一人で超えなければいけない出来事もあります。
そうだんしましょ、そうしましょ~って、簡単に相談できる悩みじゃない場合もあるし・・・。
20代前半、病気の母親の看護を一人でこなし、そして、たった一人でお母さんを見取った彼女。
遠く離れて、もう10年近くあってはいないけれど、彼女の幸せを願わずにはいられません。
彼女が彼女らしく、今日を明日をハッピーに過ごせますよう、天国のお母様、どうぞ、見守っていてくださいね。
手紙といえば・・・、
私も亡き母から、たくさんの手紙をもらっています。
病気になって、体の自由が効かなくなった頃から、大事な時には、いつも手紙をくれました。
高校受験のとき、誕生日、節目節目に真っ白い便せんに、えんぴつでキレイに書かれていました。
その中の一枚、
母の初めての詩集が出来上がったときに、詩集と共に渡してくれた手紙
母の文字を見ると、母の存在をここに感じます。
お母さんに会いたいなあと思ったら、手紙を読み返してみる。
母亡きあとに出産した私、
娘が生まれてから、心身共にいっぱいいっぱいになっていたとき、ふと、読み返したこの手紙、
そこには、びっくりする言葉があった!
詩集の題字、「くるまいす」の文字の色は、水色
その色について、母はこう書いてありました。
「お母さんの大好きな空の色です。」
娘の名前がありました

おかあさん、ありがとう、ありがとう。
知っていたのかな、いつか、空がきてくれるって
文化の日
松本市民芸術館の市民詩画展を見に・・・
亡くなった母は、詩人でした。
そう、詩人、今は、あえて、そう言わせてもらいます。
結婚前から、同人誌などへ詩を投稿し、選考されていたこともしばしばあったようで、
でも、結婚後は、自営業の仕事、子育てに追われ、詩を書くことなど、本も読むことすら取れない日々の忙しい生活。
病気になり、手足の自由が効かなくなり、長い入院生活を余儀なくされた母。
でも、体の自由が奪われたかわりに、詩を創作する時間を与えられた、今はそう思っています。
入院先のベットの上で、不自由な手で鉛筆を握りしめ、詩の創作に打ち込んだ母
その思いは、周囲を動かし、やがて1冊の詩集をまとめました。
その時、母の詩をワープロで清書したのが、父。
母が病気になる前は、決して、仲の良い夫婦とはいえませんでした。
今、あの頃の両親の年代に近づいて、父も母も、一人の人間として、精一杯だったんだなと心情を理解できるようになってきたけれど、思春期の私は、いつも心を痛めていたっけなあ・・・。
母の思いの詰まった、初の詩集 「くるまいす」
この詩集、後日、本当にびっくりした出来事がありましたが、その話しはまた次回
初の詩集出版から、ちょうど、1年後、母は空の上の人となりました。
それから、また、ちょうど、1年後、
今度は、父が母の遺作の詩をひとりでまとめて、2冊目となる詩集を作り上げました。
「花・花 ありがとう」

母が残してくれたもの。
もうひとつ、大きなものがあります。

父の詩です。
母が亡くなったあとから、ポツポツと書き始めるようになった父。
詩など、書いたことなどなかったと思います。
母が残してくれた大きなもの
高校3年生のとき、倫理の授業で、峠 三吉さんの「にんげんをかえせ」という詩を読み、非常に衝撃を受けました。
そして、その日のうちに、どうしても広島へ行きたい!と父にお願いして、夏休み、二人で広島、原爆ドームへと向かったのです。
今回の詩は、その時のことを題材にしているそう・・・。
20年以上前(ぎょえ~
)のことだけど、しっかり、目に焼き付いています。
松本芸術館 青い空、緑の芝生、そして、水玉!!

なんと、自販機まで、水玉

ベンチも、ダストボックスも
亡くなった母は、詩人でした。
そう、詩人、今は、あえて、そう言わせてもらいます。
結婚前から、同人誌などへ詩を投稿し、選考されていたこともしばしばあったようで、
でも、結婚後は、自営業の仕事、子育てに追われ、詩を書くことなど、本も読むことすら取れない日々の忙しい生活。
病気になり、手足の自由が効かなくなり、長い入院生活を余儀なくされた母。
でも、体の自由が奪われたかわりに、詩を創作する時間を与えられた、今はそう思っています。
入院先のベットの上で、不自由な手で鉛筆を握りしめ、詩の創作に打ち込んだ母
その思いは、周囲を動かし、やがて1冊の詩集をまとめました。
その時、母の詩をワープロで清書したのが、父。
母が病気になる前は、決して、仲の良い夫婦とはいえませんでした。
今、あの頃の両親の年代に近づいて、父も母も、一人の人間として、精一杯だったんだなと心情を理解できるようになってきたけれど、思春期の私は、いつも心を痛めていたっけなあ・・・。
母の思いの詰まった、初の詩集 「くるまいす」
この詩集、後日、本当にびっくりした出来事がありましたが、その話しはまた次回

初の詩集出版から、ちょうど、1年後、母は空の上の人となりました。
それから、また、ちょうど、1年後、
今度は、父が母の遺作の詩をひとりでまとめて、2冊目となる詩集を作り上げました。
「花・花 ありがとう」

母が残してくれたもの。
もうひとつ、大きなものがあります。

父の詩です。
母が亡くなったあとから、ポツポツと書き始めるようになった父。
詩など、書いたことなどなかったと思います。
母が残してくれた大きなもの
高校3年生のとき、倫理の授業で、峠 三吉さんの「にんげんをかえせ」という詩を読み、非常に衝撃を受けました。
そして、その日のうちに、どうしても広島へ行きたい!と父にお願いして、夏休み、二人で広島、原爆ドームへと向かったのです。
今回の詩は、その時のことを題材にしているそう・・・。
20年以上前(ぎょえ~

松本芸術館 青い空、緑の芝生、そして、水玉!!

なんと、自販機まで、水玉


ベンチも、ダストボックスも

闘いの地
6月後半から、日々あわただしく、自分の思いなどをブログに書きとめる余裕がありませんでした。
wantとmustは山積み・・・。
こうして、子育て中の日々は、毎日、何かをやり残したまま、また翌日にはやりたいことが増えていくのかなあと思います。
6月22日、母の14回目の命日。
命日の日に、私たち家族の最期の闘いの場所であった、病院の跡地へ行きました。
今は、病院は別の場所へ移り、違う施設が建っていました。
この季節がめぐってくるたびに、14年前のあの日がよみがえってきます。
私も、だんだん母の年齢に近づいてきて、いつか、追い越す日が来るのかな?
うん、追い越さないとね、追い越すよ、お母さん!!
6月29日、W杯、パラグアイ戦。
最後まで見てしまった・・・。完全に寝不足
でも、素晴らしい試合でした。
そして、かれこれ、ン十年前になる、高校時代の全国大会へつながる大会を思い出しました。
追う側は、時間の流れが早く感じ、追われる側は、逆に長く感じる・・・。
ストップウォッチを握りしめながら、いつも祈っていたっけ・・・。
PK戦で、勝ち上がり、全国大会のキップをつかんだことも思い出しました。
その時も、やはり、いつも祈っていたな・・・。
いい経験をさせてもらいました。
W杯、みんなカッコよかった!!
wantとmustは山積み・・・。
こうして、子育て中の日々は、毎日、何かをやり残したまま、また翌日にはやりたいことが増えていくのかなあと思います。
6月22日、母の14回目の命日。
命日の日に、私たち家族の最期の闘いの場所であった、病院の跡地へ行きました。
今は、病院は別の場所へ移り、違う施設が建っていました。
この季節がめぐってくるたびに、14年前のあの日がよみがえってきます。
私も、だんだん母の年齢に近づいてきて、いつか、追い越す日が来るのかな?
うん、追い越さないとね、追い越すよ、お母さん!!
6月29日、W杯、パラグアイ戦。
最後まで見てしまった・・・。完全に寝不足

でも、素晴らしい試合でした。
そして、かれこれ、ン十年前になる、高校時代の全国大会へつながる大会を思い出しました。
追う側は、時間の流れが早く感じ、追われる側は、逆に長く感じる・・・。
ストップウォッチを握りしめながら、いつも祈っていたっけ・・・。
PK戦で、勝ち上がり、全国大会のキップをつかんだことも思い出しました。
その時も、やはり、いつも祈っていたな・・・。
いい経験をさせてもらいました。
W杯、みんなカッコよかった!!
6月22日
6月22日は母の命日。早いもので、あの日から13年目。
10年の闘病の末、13年前の6月22日午後2時22分、母は天国へ旅立ちました。
13年前の6月22日は、前日降った雨が明け、朝から太陽が照りつけ、真夏のような暑さでした。
6月14日の早朝、危篤の知らせを受け、着の身着のまま病院にかけつけ、そのまま病院に寝泊まりすること1週間。誰がどう見ても、回復する見込みがない状態なのに、母の命のともしびが消えてなくなるなど、考えられなった私でしたが、22日の朝、叔母が届けてくれた朝食を、父と二人で食べながら、朝露の残る、緑の木々を見つめながら、ふと、「ああ、今日、お母さん逝っちゃう。たぶん、午後2時ころ、空へ逝ってしまう。」と心の中で声がしたんです。
その予感のとおり、母は22日、午後2時22分、一旦、家に荷物を取りに帰った父が病室に戻ってくるのを待って、父の腕の中で息を引き取りました。父が取りに帰った荷物とは、杖。歩けなくなった母が天国に行ったときに困らないようにと杖の代わりになるものを探していたんだって。決して、仲が良い夫婦ではなかったと思うけど、お母さんが最後に書いた日記は、
「お父さん、お父さん、お父さん、今までありがとう。もう、歩けない」
でした。最期に残した言葉がお父さんへの言葉だったことが、娘として、本当にうれしかった。
天国では、お母さんは、元気にひとりで歩いたり、走ったり、自転車乗っているよね。
昨日、そら子と父とお墓参りに行きました。そら子は、お母さんのことを「写真のばあちゃん」と呼んでいます。
昨日も、一生懸命、お水をあげて、お花を供えて、お線香もあげていたね。お母さん、見ててくれたかな。唯一の女の子。母親から娘にしか受け継がれないDNAがあるそうです。お母さんのDNAはしっかり、受け継いでいますよ。
お母さん、どんなおばあちゃんになっていたんだろうね、見てみたかったな。
いくつになっても、母は恋しいです。
歳を取らないお母さん、昨日、お父さんはお参りしながら、俺だけ歳取ってしまったなあ、さみしそうでした。
お母さん、お父さんが長患いしないように、祈っていてね。
今日は、ちょっと、長くしんみりしてしまいました。
親はいつまでも、健康でいてくれるわけではありません。
といいつつ、今月も、父の口座から引き落としになる、ジャ〇コカードを使ってしまう、娘なのでした・・・。
10年の闘病の末、13年前の6月22日午後2時22分、母は天国へ旅立ちました。
13年前の6月22日は、前日降った雨が明け、朝から太陽が照りつけ、真夏のような暑さでした。
6月14日の早朝、危篤の知らせを受け、着の身着のまま病院にかけつけ、そのまま病院に寝泊まりすること1週間。誰がどう見ても、回復する見込みがない状態なのに、母の命のともしびが消えてなくなるなど、考えられなった私でしたが、22日の朝、叔母が届けてくれた朝食を、父と二人で食べながら、朝露の残る、緑の木々を見つめながら、ふと、「ああ、今日、お母さん逝っちゃう。たぶん、午後2時ころ、空へ逝ってしまう。」と心の中で声がしたんです。
その予感のとおり、母は22日、午後2時22分、一旦、家に荷物を取りに帰った父が病室に戻ってくるのを待って、父の腕の中で息を引き取りました。父が取りに帰った荷物とは、杖。歩けなくなった母が天国に行ったときに困らないようにと杖の代わりになるものを探していたんだって。決して、仲が良い夫婦ではなかったと思うけど、お母さんが最後に書いた日記は、
「お父さん、お父さん、お父さん、今までありがとう。もう、歩けない」
でした。最期に残した言葉がお父さんへの言葉だったことが、娘として、本当にうれしかった。
天国では、お母さんは、元気にひとりで歩いたり、走ったり、自転車乗っているよね。
昨日、そら子と父とお墓参りに行きました。そら子は、お母さんのことを「写真のばあちゃん」と呼んでいます。
昨日も、一生懸命、お水をあげて、お花を供えて、お線香もあげていたね。お母さん、見ててくれたかな。唯一の女の子。母親から娘にしか受け継がれないDNAがあるそうです。お母さんのDNAはしっかり、受け継いでいますよ。
お母さん、どんなおばあちゃんになっていたんだろうね、見てみたかったな。
いくつになっても、母は恋しいです。
歳を取らないお母さん、昨日、お父さんはお参りしながら、俺だけ歳取ってしまったなあ、さみしそうでした。
お母さん、お父さんが長患いしないように、祈っていてね。
今日は、ちょっと、長くしんみりしてしまいました。
親はいつまでも、健康でいてくれるわけではありません。
といいつつ、今月も、父の口座から引き落としになる、ジャ〇コカードを使ってしまう、娘なのでした・・・。