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マドンナ・ヴェルデ
2011年05月13日
sorahana at 17:16 | Comments(0) | 母のこと
見逃してしまうことが多々あるので、連続ドラマはほとんど見ないようになってしまった私ですが、新しいテレビにしたら、録画機能付きなので、機械オンチの私でも簡単に録画ができ、この春からの連ドラはいくつか見ています
その中でも、出産にまつわるドラマ、気になって見ています。
「マドンナ・ヴェルデ」~娘のために産むこと~
病気のため、胎児ごと子宮を摘出してしまった娘のために、55歳の母が代理出産をするというお話。
娘を持つ母として、非常に考えさせられる。
やっと授かった赤ちゃん、でも、子宮を摘出しなければ、自分の命がない・・・。
自分の命と引き換えに赤ちゃんを死なせてしまったと悔やむ娘・・・。
どうしても赤ちゃんが欲しいと母の腕の中で泣きじゃくる・・・。
子供を持たない人生もあると導いてあげるのも親の務め。
でも、子供を持つ人生を知ってしまった母親は、娘にも同じ思いをさせてあげたいと思ってしまうのではないか・・・
私の姉は、結婚後、なかなか子供を授かることができず、何年も不妊治療に通っていました。
その頃、母は病気のため、手足が不自由になっており、車いすの生活でした。
不妊治療に通う姉に、
「こんな弱いお母さんでも、二人、産めたのにねえ・・・。」と、ポツリと言ったことがありました。
そして、歩く事の出来ない母が、当時はあまり知られていなかった、今では全国で知らない人はいないという産科医の記事を新聞で見つけ、その記事を切り抜き、姉にこの先生に診てもらいなさいと強く勧めたのです。
その後、その先生に診てもらい、子宮筋腫の手術をした後、半年後に妊娠、双子を出産しました。
初孫の誕生の2か月後、母は天国へと旅立ちました。
最期に、両腕に二人を抱きしめて・・・。
あの時、母が新聞記事を見つけ、記事を姉に渡して、姉の背中を押さなかったら、多分、双子は授からなかったはず。
子供を持つ人生を知っていた母は、やはり、娘にも願わくば、その人生を味わせたかったのでないかと思う。
姉も諦めかけていた妊娠だったけど、母だけは諦めなかったんだな・・・、きっと。
子供を持たない人生もあると私は思う。
欲しくても出来ない人もいるし、病気のために諦めざるを得なかった人もいる。
人それぞれ、その人にしかわからない事情もある。
大切なのは、人生の流れを享受すること。
人間はつい自分と他人を比べて、自分の足りないことばかり目を向けてしまいがちだけど、自分の人生を受け入れるってことが大事なんだ
となると、代理出産は、流れに反していることなのか・・・?
でも、母だから、母だからこそ、娘の究極の願いを命と引き換えにしてでも叶えてあげたいと思うのかな・・・。
来月、母の15回目の命日がやってきます。
緑が眩しくなり始めたこの時期、この新緑の眩しさ、この風の匂いが、会社の昼休みに母の病院まで自転車で必死に通ったことを思い出させます。
この季節、毎年そうだけど、母のことをいつも以上に思い出す。
多分、近くに来てくれているんだね

その中でも、出産にまつわるドラマ、気になって見ています。
「マドンナ・ヴェルデ」~娘のために産むこと~
病気のため、胎児ごと子宮を摘出してしまった娘のために、55歳の母が代理出産をするというお話。
娘を持つ母として、非常に考えさせられる。
やっと授かった赤ちゃん、でも、子宮を摘出しなければ、自分の命がない・・・。
自分の命と引き換えに赤ちゃんを死なせてしまったと悔やむ娘・・・。
どうしても赤ちゃんが欲しいと母の腕の中で泣きじゃくる・・・。
子供を持たない人生もあると導いてあげるのも親の務め。
でも、子供を持つ人生を知ってしまった母親は、娘にも同じ思いをさせてあげたいと思ってしまうのではないか・・・
私の姉は、結婚後、なかなか子供を授かることができず、何年も不妊治療に通っていました。
その頃、母は病気のため、手足が不自由になっており、車いすの生活でした。
不妊治療に通う姉に、
「こんな弱いお母さんでも、二人、産めたのにねえ・・・。」と、ポツリと言ったことがありました。
そして、歩く事の出来ない母が、当時はあまり知られていなかった、今では全国で知らない人はいないという産科医の記事を新聞で見つけ、その記事を切り抜き、姉にこの先生に診てもらいなさいと強く勧めたのです。
その後、その先生に診てもらい、子宮筋腫の手術をした後、半年後に妊娠、双子を出産しました。
初孫の誕生の2か月後、母は天国へと旅立ちました。
最期に、両腕に二人を抱きしめて・・・。
あの時、母が新聞記事を見つけ、記事を姉に渡して、姉の背中を押さなかったら、多分、双子は授からなかったはず。
子供を持つ人生を知っていた母は、やはり、娘にも願わくば、その人生を味わせたかったのでないかと思う。
姉も諦めかけていた妊娠だったけど、母だけは諦めなかったんだな・・・、きっと。
子供を持たない人生もあると私は思う。
欲しくても出来ない人もいるし、病気のために諦めざるを得なかった人もいる。
人それぞれ、その人にしかわからない事情もある。
大切なのは、人生の流れを享受すること。
人間はつい自分と他人を比べて、自分の足りないことばかり目を向けてしまいがちだけど、自分の人生を受け入れるってことが大事なんだ
となると、代理出産は、流れに反していることなのか・・・?
でも、母だから、母だからこそ、娘の究極の願いを命と引き換えにしてでも叶えてあげたいと思うのかな・・・。
来月、母の15回目の命日がやってきます。
緑が眩しくなり始めたこの時期、この新緑の眩しさ、この風の匂いが、会社の昼休みに母の病院まで自転車で必死に通ったことを思い出させます。
この季節、毎年そうだけど、母のことをいつも以上に思い出す。
多分、近くに来てくれているんだね

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